三条発掘ネット通信2012
鮭の絆チャリティーラーメン     11.26

11/26 大盛況の内 恒例の 『冬季限定 氷頭ラーメン 販売開始記念 チャリティーラーメン』 を終えることが出来た。

今年は
 『鮭の絆 チャリティーラーメン』 と銘打って 東日本大震災による福島第一原発事故で期間困難地区となっている人達が 一日も早く故郷に帰れるよう その支援に充てることにした。

昨年は 同じく東日本大震災被災地 宮城県女川町で 震災発生後いち早くかまぼこ工場内の在庫のかまぼこを被災者の食料支援に充て そして どこよりも早く工場を再開し従業員の生活支援に取り組んだ『高政』の笹かまをトッピングに使うことで 被災地支援も兼ねた『特製笹かま入り氷頭ラーメン』として一杯¥200で販売したが 今年は¥100!

(昨年のチャリティーはこちら
開店30分前には既に店頭に行列が出来始めたため 準備の確認をし15分前に開店。
雪崩れ込むようにお客様が入店する。
(当日の模様はこちらから

満席になる頃には既に一番初めのラーメンが出来上がる。
余裕で次ぎのラーメンに取り掛かろうとした時だ。
麺の湯で釜の下で 「ドンッ」 と不吉な音が と同時に調理場一面に水が・・・。
な なんと 水道管の破裂というハプニングに見舞われた。
『 なぜ この日のこの時に こんな試練を与えるのか・・・』
一瞬 今日は無理かという思いが頭を過ぎったが 何としてでも復旧して見せるという根性で 何とか15分で応急措置を施し 業者が修理に来るまでの間 どうにか営業を続けることが出来た。

今になって思えば この日は休日を利用しての特別営業。
もし これが 休日の留守の時 もしくは 夜中の寝ている時間に起こっていたらと考えると ここで起きたことは 『もっとガンバレ!』 という天の声だったように感じるが 
あの動転している中での対応は自分でも良くやれたと感心している。
そして何よりも この日のチャリティーラーメンの為に 自分の休日にもかかわらず応援に駆けつけてくれる友人達の熱い強い後押しがあったからこそ なんとか一日を終えることが出来たと感謝している。

開店早々のハプニングを乗り越え 押すな押すなの行列が途絶えたのが14:00少し前で 14:30の昼の営業が終了する時点で限定の200食を超え 204食が無くなった。
毎年 200食限定とうたうものの50食ほどは余分に用意して置くが この日の混みようは半端ではなく 急遽100食を追加して夜に備えた。

夜17:00の開店時には また行列だ。
お昼ほどの混みようではないものの 開店と同時に満席となり 食べ終えたお客様の満足そうな顔が昼間のアクシデントを乗り越えられた喜びに変わり 余裕で仕事が進む。
19:30でスープが無くなり今年のチャリティーラーメンが終了した。

毎年 このチャリティーに協力したいと高額を届けてくれる人 また チャリティーが終わった後にも『この日に合わせて貯めていた』と届けてくれる人もおり それらを合わせ総額¥66805−の募金が寄せられた。 
(お金の証明はこちらから ・・・笑)

このお金は 毎年「氷頭ラーメン」を販売するに当たり協力いただく五十嵐川漁協 にお願いして 福島県楢葉町の木戸川漁協 に送り 楢葉町の帰宅困難者の支援に充ててもらう予定だ。
木戸川漁協は 五十嵐川漁協と同じく鮭の孵化事業に取り組んでおり 鮭の釣り場も設けレジャー開放も行っていたが 原発事故により全てが失われ 今現在もいわき市内に仮の事務所を置いている。

しかし この秋には木戸川で生まれた鮭が元気に故郷の川に戻り 漁協組合員を喜ばせているということをスポーツニッポン新聞の記事で知った。
鮭でさえ生まれ故郷に帰れるというのに 帰宅困難地域に指定された人達は未だに自分の故郷に戻ることが出来ないことに 今年のチャリティーは『鮭の絆チャリティーラーメン』と決めていた。

実は 氷頭ラーメンのスープに使用する鮭の頭を提供していただく五十嵐川漁協も 度重なる水害で孵化事業に必要な設備や鮭の一括採鯆施設がその都度流失という大打撃を受けている。 
さらに 一時は河川改修工事の影響で 母なる五十嵐川に鮭が戻ってこないのではと心配させられたものの 災害を乗り越え 見事に復興を果たし 今年も多くの鮭が元気に遡上している。
木戸川漁協には 放射能という複雑な問題を抱えているものの 必ずや復興を果たして欲しいと願っている。


また この日併せて行った動物愛護チャリティー(毛布 タオル タオルケット フリースの募集)にも多くの協力をいただいた。
これは 元BSNアナウンサーで今はフリーで活躍されている伊勢みずほさんのブログ で 保護された動物たちのケアに必要な品物が不足していることを知り 鮭という生き物の命をいただいて営業が出来るそのお返しとして 少しでも動物愛護に役立てればと 当日チャリティーラーメンに来られるお客様にお願いしたもの。

お客様の善意と 仲間の熱い応援をもらって無事に終了した今年のチャリティーラーメン。
熱いハートと身体の続く限りは 私のライフワークとして続けてゆきたいと思っている。

絆 繋げた。。。かな?     05.24
3/17 南相馬市復興祭で届けた 三条市立一ノ木戸小学校児童による原発被災地への激励メッセージ
南相馬市市立原町第二小学校の子供たちから お礼のメッセージが届いたと 一ノ木戸小の先生がコピーを届けてくれた。


メッセージには 励ましに応えられるよう頑張りますと言う決意の言葉が並ぶ。
しかし そんな中にも 『友達が減った』 や 『まだ外で遊べない』 など 苦悩が滲む言葉もあって胸に来るものがある。 

一ノ木戸小に届いたメッセージカードは 次の日曜日に開催される運動会で 大きなパネルにして掲示されるそうだ。

新しい絆を生むメッセンジャーの役割が 少〜しできたかな? と自己満足。

メッセージカードと仏画の色紙を毎回提供してくれる仏画師・荘 眠月さんに 心から感謝。
家の店の前には 眠月さんの心の広さと被災地を思う熱い心を表すかのように 真っ赤なアマリリスが咲いた。
売上寄付     03/28
3/17 南相馬復興祭に出かけたメンバーの代表が揃って 当日の売り上げを寄付に市役所を訪れた。
訪れたメンバーは『越後三条鍛冶集団』『三条カレーラーメン部会』『五板会』『四日町熟年いこいの会』『三小相承会』『三条マルシェ実行委員会』の代表13名。


国定市長は 『これだけ多くの人が一度に寄付に訪れてくれるのは初めて 圧巻ですね。』 と ニコニコ顔で挨拶
メンバーには 『冷たい雨の中 ごくろうさまでした。』 と労をねぎらった。
復興祭で その働きぶりをつぶさに見てきた国定市長は
それぞれの団体に復興祭での感想を聞き 自身の目線で感じたことを ユーモアを交えながら楽しく語った。

冒頭 祭り開始早々に売り切れとなった 三条市内の和食の職人で構成する「五板会」が提供した厚焼き玉子に触れ『三条に避難している時に この玉子焼きをを食べさせてもらって美味しかったんでしょうね 南相馬でまた食べれるとは思わなかったと たくさん買って行く人もいましたね。』と 市長自らその人気ぶりを目の当たりにした感想を述べ 三条の和食職人の腕に改めて感心した。

国定市長も参加した四日町熟年いこいの会と 一時三条に避難していた地元の人気ラーメン店「双葉食堂」による餅つきでは 250食が無料で振舞われ人気だったことや 包丁研ぎを行なった三条鍛冶集団からは『あまりにも良く切れるようになったので わざわざ家まで包丁を取りに戻って ありったけの包丁を持ってくる人もいた。』や 隣のブースに出店した地場産センターによる三条の金物屋や米などの特産品も人気で 一本10000円もする包丁が何本も売れていたと聞かされ『三条の鍛冶職人の技が認められていますね。』 と喜んだ。

また カレーラーメン部会には 自身食べる時間が無かったが 並んでいる人の数が一番多かったと 人気ぶりに満足。
マルシェ実行委員会の活躍ぶりを『まるで 三条マルシェがそのまま南相馬に行った様な賑わいでしたね。』 と 振り返った。 

しかし 参加した全員が 『正直 心の中には 本当に祭りを楽しんで良いんだろうか との葛藤もあった』 という言葉に 国定市長も表情を曇らせながら 『南相馬の人達の気持ちを量り 心遣いしながら話す部分もあった。』 と 心境を吐露 子供の姿が少なかったことに触れた際には 一点を見つめ言葉を詰まらせた。
最後に 三小相承会の太鼓演奏に 労いの言葉を述べ 『この次は 相馬野馬追いに出かけて 思いっきり元気付けしましょう。』 
と これからも南相馬を応援して行く考えを示して締めくくった。

義援金と共に 南相馬訪問時にも届けた一ノ木戸小学校児童による仮設住宅入居者への激励メッセージも新たに200枚ほどが寄せられ 併せて南相馬市に届けることとなった。
関連記事 こちら

各団体の寄付金額
越後三条鍛冶集団
三条カレーラーメン部会
五板会
三小相承会
三条マルシェ実行委員会
四日町熟年いこいの会
13,600
46,300
50,000
30,000
57,200
現地で餅250

南相馬復興祭     03/17
南相馬市の復興祭に参加してきた。

復興祭では 原町商工会議所副会頭の齋藤さんに 細部にわたり気配りをいただき 大変お世話になった。
調理場を設置する必要な道具や 水回りを手配していただいたり 雨の中 ラーメンを食べるのは可哀想と 自身の所有するオフィスを食堂に貸してもらった。

右は その齋藤さんが帰る我々に対し 感謝の言葉を述べている。
三条市からの応援に感謝します と 明るくお礼の言葉を述べた後 地元原町商店街の実情を話す段になると 目を潤ませ 言葉を詰まらせた。
斉藤さんの言葉にあった 原発事故が無ければ 放射能さえなければという言葉に込められた南相馬の人たちの辛い思いが 胸に刺さった。
優しく微笑みを浮かべるそのお顔を載せず 後ろ姿となったことにはお詫びを申し上げるが 参加した三条の人たちは 皆同じ想いだったと思う。

とにかく頑張って欲しいと願うだけだ。

復興祭が終わり 三条に引き上げる我々に
感謝の気持ちを述べる原町商工会議所副会頭の齋藤さん。
今回の復興祭を開催した原町商議所の人たちの心意気があれば 必ず復興出来る。
この次に伺う時は 元気になったに原ノ町駅前通りに出会えると信じている。
他のブースをゆっくり撮影している時間もなかったが 何枚か撮ってきた。
三条から参加した四日町商店街熟年いこいの会による餅つきや三小相承会の和太鼓メンバー 全国から駆けつけた大道芸人によるパフォーマンスだ。
関連情報 こちら こちら
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潮騒太鼓 轟会から     02.10


昨年末に行った『チャリティーラーメン』の支援先から お礼の挨拶状が届いた。
カリー屋エージの 日常的心
寄付の送り先については 石巻の知人を通じ 
「石巻日日新聞社」にお任せしていた。
チャリティーで使った「笹かま」の縁で 
隣町の女川潮騒太鼓 轟会も活動費に充てていただいた。

日日新聞社からは 届けていただいた際の写真もメールでいただいた。
カリー屋エージの 日常的心
震災からもう直ぐ1年になる。
被災地の復興状況がTVなどで伝わる中 
被災した人たちのこうした活動も徐々に再開されていると聞く。

今回も 僅かな金額の支援ではあったが 
眠月さんの色紙の応援を頂いたことで 
女川の人たちに大きな希望を与えることが出来たと 少し・・・
いや 大いに満足していいかな・・・と思っている。
カリー屋エージの 日常的心

三条にも勇壮な太鼓のグループがあり いつの日にか 
太鼓の会同士でイベントを持てる日が来ることを夢見ている。

被災地への支援は これからも長期に亘り続けてゆかなくてはならない。
復興への金銭の支援は絶対に必要ではあるが 
こうした文化の交流により 被災地に元気を与えることも大切と感じた。

女川潮騒太鼓 轟会の太鼓の音が 
女川の復興への一層の後押しの力になってくれることを祈って・・・

カリー屋エージの 日常的心

被災地へお年玉     1/1

新年明けまして おめでとうございます。

と 先ずは新年のご挨拶と 元旦に撮った「縁起の龍」を紹介するところですが 
元旦早々に 届いた何よりのお年玉をもって 2012年の最初の挨拶とします。


震災直後 長野の仏画師・荘眠月さんに 

「あなたの描く仏様で被災者の心を癒してやって欲しい」
と お願いしたところ 

「一年間 被災地のために描き続けます」
と 快く引き受けてくれた最後の仏画が元旦に届きました。


昨年一年間で 300枚ほどの色紙を描いていただいた。 
販売すればおそらく数百万円分に上ろうかという貴重な仏画たち。

これまでも 三条市で避難生活を送る福島県南相馬の方々や 宮城県石巻に届けてきました。

着の身着のままで避難されてこられた南相馬の方々に至っては 
位牌も遺影も何も持ってこられなかった中 
毎日この仏様に手を合わせているという方も居られるとお聞きしました。

石巻に送った色紙も 家をすっかり津波で持っていかれた方々の仏壇代わりとなっている 
ともお聞きしました。

昨年開催した「東日本大震災復興支援チャリティーラーメン」の売り上げ10万円を添えて 
早速今回も石巻に送らせていただきました。

義援金は僅かですが 仏画が多くの方々の心の癒しとなり 復興への希望の光となり 
礎となってくれることを祈ります。


三条発掘ネットブログ


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